小説において「自分」とは何人称なのか?

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目次

はじめに

「自分」とは何人称なのだろうか?
ちょっと疑問に思った

前提知識

※小説の人称がわかっている人はスキップしてOK

小説は例外を除き、3人称小説か1人称小説に分類することができる。
これは、小説の地の文では、主語を3人称か1人称のどちらで扱うかで分けられる。

3人称:登場人物の名前を直接使う。あるいは、「彼」「彼女」という代名詞を使う
1人称:「私」「俺」「僕」などを使う

3人称の文章の例:
佐藤は、食事に出かけた。(登場人物の名前を直接使う)
彼女は、家に帰った(代名詞を使う)

3人称の文章の例:
俺は、寝坊した。
私は、洗濯をした。

「自分」とは何人称か?

答えをいうと「1人称」

理由は至極単純、「私」「僕」と同列で、自分自身のことを指す言葉だから。

それでも納得いかない場合は、日本語練習帳 (岩波新書) p147を読んでください

小説における「自分」という人称の使われ方

1人称小説は「私」「俺」「僕」の3つのどれかを使われていることが大半。

「自分」という人称を主軸として使った有名な小説は、私は寡聞ゆえに知らない。

むしろ、3人称小説で、キャラクターの心情を語らせる時に便利な言葉として使われる傾向がある。

例1
「はあ~」
田中は、いつまでも終わらない作業とたたかいながら、ため息をつく。
自分が、なぜ夜遅くまで働かないといけないのだろうか、と思いつつ。

 

文章的には、どこかに3人称が隠れていると解釈することができる

例1(3行目)
自分が、なぜ夜遅くまで働かないといけないのだろうか、と(田中は)思いつつ。

ここで、例1の文章の「自分」の代わりに「私」を使ってみると

例2
「はあ~」
田中は、いつまでも終わらない作業とたたかいながら、ため息をつく。
私が、なぜ夜遅くまで働かないといけないのだろうか、と思いつつ。

 

この文章は別におかしくはない。

だが、文章がある程度わかる人から見ると、3人称(田中)と1人称(私)が混合している文章と受け止められる危険性が高い。

たとえ、3人称が隠れている文章を書いていると書き手が思っていても、読み手はそうは思ってくれないというのは十分ありうる。

一方、「自分」という1人称を使うと、たとえ3人称小説でも、人称が混合した文章とはあまり受け止められない。(少なくとも、私はそう感じる)

この理由ははっきりと断定できないが以下の2つあると私は考える

1:1人称小説で「自分」を使う小説が皆無。

先にも述べたが、1人称小説で「自分」という人称代名詞を使われることがほとんどない。それゆえ、読み手は、「自分」という人称を見ても1人称の代名詞だと、あまり思わない。

読み手の「自分」という人称に対する知識不足ともいえる。

2:客観度の高い人称

1人称を指す言葉である「私」「俺」よりも「自分」の方が自身に対して距離を取っているように思われる。(※あくまで、私という個人の感覚)

そのため「自分」は1人称代名詞ではあるが、3人称小説という客観視して紡がれる小説と相性は悪くない。

「自分」に近い言葉

「己(おのれ)」「我」「うち」などが近い言葉。

しかし、文章や小説を書くにあたって、これらの3つの言葉が「自分」という言葉より便利とは思えない。

しいて使えそうなのは、「己(おのれ)」かな……

まとめ

「自分」は1人称代名詞
3人称小説で、登場人物の心理を書くときに便利に使われることがある

日本語練習帳 (岩波新書) p147に日本語で使われる人称代名詞を色々挙げてある。1人称、2人称、3人称のそれぞれの人称に対して10個以上の代名詞を記しており、日本語の人称代名詞の豊富さが自然と理解できる。

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